私は、『遊び』というものをとても大切にしたいと思っています。
そういうわけで、私がコンセプトを担当したボードゲーム会社ドロッセルマイヤーズにも、そしてこのレーベル*Singspiel*のコンセプトにも、「遊び」というものを中心軸として添えさせていただきました。
では、ここで言う『遊び』とはどんなもののことなのか。
私がこの言葉を使うときは、常に次のようなことを考えています。
子どもはよく遊ぶ。
いないいないばあで笑う赤ちゃんも遊ぶ。
兄弟でじゃれ合う子犬や子猫もまた遊んでいる。
つまりどうやら、『遊び』というものは、文化を認識する以前の段階から知られているようです。
そして、例えば西洋中世の騎士道、古代で言えば政治とも言える祭祀、宮廷社会、運勢を占うためのタロットカード、音楽、ダンス、威厳を添えるために使用していた西洋貴族の男性のかつらなど、歴史的に追っても、『遊び』は人々の日常生活の中に存在してきました。
一見『遊び』には見えない真面目なことにも、『遊び』は息づいてきたのです。
では、人は何のために「遊ぶ」のか?
不思議なことに、何かそこに有益なものを見出そうとして、誠実に考えようとすればするほど、『遊び』はどんどんつまらなくなり、義務と化し、『遊び』ではなくなっていきます。
なぜなら、『遊び』はただ魅力的なものでなければならなくて、そこには理由や目的などないからです。
「真面目」や「仕事」の反対語などではなく、ただそこに存在しているだけの、無駄で贅沢なものだからです。
ただし、『遊び』とは、何もせずに怠けていれば勝手に生まれ出るものでもありません。
むしろ『遊び』は、『遊び』の世界の中で、真剣な気持ちで積極的に取り組まなければ自ずとその世界ごと消え失せてしまう、魔法のかけられた空間そのものなのです。
この真剣さや真面目さの調合具合の難しい、不思議なバランス感覚で成り立っている『遊び』と言うものは、この調合を少しでも間違えればすぐに消えてしまいます。
そしてこの魔法の空間を維持するためには、守らなくても罰せられることがないために、本来なら守る必要すらないこの空間特有のルールを、参加者全員が厳格に守ろうとする意思によって成立するのです。
この、現実世界とはまるで違う「世界のルール」によって、閉じられた空間を作るということは、まさに私の思うフェティッシュの基準、
③強固な世界観があること
「個」の輝きが強いもの。
それそのものの中で完結できる、独自の宇宙の法則を形成しているもの。
現実にあるよく知っているものとは全く別次元の法則によって成り立っているもの。
に、まさに一致しているのです。
そう言うわけで私にとって『遊び』とはとてもフェティッシュなものであり、そして人類が太古の頃から、無駄なものでありながらもなぜか耐えることなく続いてきたこの興味深い文化を、引き継いでいきたいなと思うのです。




