1717年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世と、皇后エリーザベト・クリスティーネの長女として誕生。
マリア・テレジアの、フランツ・シュテファンへの恋心は有名で、「夜は彼のことを夢見、昼は女官達に彼のことを話している」と、イギリス大使が記しているほど。
プロイセン王子フリードリヒ(後のフリードリヒ大王)との結婚話も浮上してはいたが、父カール6世もフランツのことを大変気に入っていたため、1736年の2月12日、二人はめでたく婚礼をあげた。

スペイン継承戦争で、男系相続人のいない王国の末路を目の当たりにしたカール6世は、同じく男系相続人のいない自分の帝国の未来を危惧して、ハプスブルク家の長子相続を定めた「国事詔書」を発表し、帝国内に承認を求めた。
しかし、ヨーロッパ各国はこれに猛反対。
多大な犠牲ののちに長子相続を承認させ、マリア・テレジアは後継者となったが、カール6世の死後いざ彼女が帝位に就くと、早速プロイセン国王フリードリヒ2世が攻め入ってきた。

これが、オーストリア継承戦争である。
マリア・テレジアの治世はこのようなかたちで幕を開けたが、彼女は決してひるむことなく正義を貫き通し、のちには「オーストリアに女帝マリアテレジアあり」と、ヨーロッパ中から謳われるような、名君になった。


マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネットのお話

マリア・テレジアが愛するフランツと暖かい家庭を築いたのち、彼女は沢山の可愛らしい子供たちに恵まれます。
子供たちの中で最もと言っていいほどに有名になったのが、マリー・アントワネット。
そのアントワネットのお気に入りたちが、いっぱいに詰まった宝箱のような本。



『アントワネットの玩具箱』


真城七子・著
B6、140頁、ソフトカバー


  →詳しくはこちら