本名マリ=ジャンヌ・ベキュ。
アンヌ・ベキュの私生児としてフランス、シャンパーニュ地方の貧しい家庭に生まれる。
弟が生まれてまもなく母は駆け落ちしたため、叔母に引き取られて育った。
ジャンヌが7歳になると、母は金融家と再婚し、それによってパリで義父と暮らすことになる。
彼女は義父にとてもかわいがられ、まともな教育を受けさせてもらえた。

人生の初めの頃は男性遍歴を繰り返し、まるで娼婦同然の生活をしていたといわれるが、のちにルイ15世に気に入られ出世し、デュバリー伯爵夫人と呼ばれるように。
華やかな彼女の人生は、革命によって一転した。
彼女は革命裁判所で死刑を宣告されたが、その他にも命を落とした多くの女性たちがいた中で、断頭台を直視できず、泣きわめいて人びとの心をかき乱したのは、デュバリー夫人だけだったという。

その様子を知る女流画家ルブラン夫人が残した言葉は有名である。
「もしこの凄まじい時期の犠牲者たちがあれ程までに誇り高くなかったならば、あんなにも敢然と死に立ち向かわなかったなら、恐怖政治はもっとずっと早くに終わっていただろうに」。