(1588-1665)
ランブイエ侯爵夫人、カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌは、ローマ駐在のフランス大使ジャン・ド・ヴィヴォンヌ(ピザニ侯爵)と、
ローマの四代名門貴族の一つ、サヴェッリ家の令嬢ジゥリアとの間に生まれた。
この家系は、アンリ4世の二人目の妃マリー・ド・メディシスとも縁続きの名家である。

母の方針により、カトリーヌはフランス語、イタリア語の両方を話すように教育され、学問芸術を修めた。

カトリーヌが7歳になった頃、フランスに移住。
12歳で、アミアンの司教代理をしていたシャルル・ダンジェンヌという、11歳年上の男性と結婚した。

彼女は持病を持っていて、暖房や太陽の光を浴びるとすぐに顔に紅斑が出てしまう体質だった。
この持病は急に悪化し、王妃のお伴をしているときに気絶するまでになってしまったという。
しかし子どもには恵まれ、二男五女の、合わせて7人の子どもが生まれた。
娘たちのうち二人は、母のサロンに出て片腕として手伝った。

カトリーヌは半世紀にも及ぶ長い間サロンを営み続けたのち、77歳でこの世を去る。


サロンに通う女性たちの日常生活

古くはアリエノールが作り上げた宮廷の文化は、だいぶ後世になってからではありますが、ランブイエ侯爵夫人がきちんと引き継いでいきました。
由緒正しい宮廷文化を体験したい方に。


『宮廷マダムの作法』

真城七子・著
B6、140頁、ソフトカバー


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